思い立ったがtoki日_2019. 03月 版

レッスンで思ったことや気付き、考えること、ヨガに関わらず頭の整理に使いたいメモ。

<Mar. 07. 2019   あと少し>

 

平成に入ってからは随分と有名になってしまった彼の地へ、あと少しということもあり行ってきました。 以前では想像できない程の観光客の数に、嗚呼、本当にあと少しなんだなぁ 残りの二月 大事に過ごそう、なんて思いながら本当はこんな時でなくても、こうやって丁寧に日々過ごしていければいいのですが、まだまだですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

<Mar. 08. 2019    自由に動くということ>

 

 ヨガを始めて間もない頃、思ったように身体が動かないことへの驚きの連続で、そして面白いと感じた。あれ、今まで自由に動けていたと思っていたのは何だったのか。 そうか、自由に動かしているつもりでいただけなのか。 自由に動いていなかったのは身体だけではなくて、どうやらこんな勘違い引き起こす頭も使いこなしていなかったようで。

 身体も頭もフル回転! そんなレッスンをこれからも楽しくやっていきます。

 

 

<Mar. 12. 2019    ここまではここまでじゃない>

 

 もっと伸びて、ぐぐぐいっと限界まで伸ばして。 いろんな言葉でガイドをしても、私を含めた誰もが実は限界まで伸びていない。 無意識だけど、自分に甘い(私は特に)。 でも、みんな一緒なんだなぁ というのがわかってからは、少し肩の力が抜けはしたものの、いやいやもっと伸びてもらわないと、と今日もあらゆる言葉で伸びてもらいました。 様々な読み物にも書いてあるけれど、限界は自分が決めるもの これかー ^^; の連続です。 一人では気付きにくいけれど、お互い気付き合って一緒にもっと伸びていきましょう!

 

 

<Mar. 13.  2019 自前のサイドモニター>

 

 人は正面以外は不用心になりがちです。

 気が付くと痛いところは決まってうしろ側、ばかりではありませんが、ジワジワ迫りくる敵の気配を感じながらも、目の前の大事なことに意識を奪われ、次に認識する感覚は「痛い」を越えているパターンはお決まりです。 傍から見れば、あれでは腰や肩、首も間違いなく凝るだろうし痛くもなるだろうなぁ と容易にわかりますが、自分のこととなるとつい、です。 忙しくてそこに気を回す時間も当然にありませんが、運転中に車のサイドミラーをチラッと覗き込むように、自分自身の肩あたりについている(といいな、と常日頃思っている)サイドモニターに視界を切り替えて姿勢の乱れが認められたら、ここまでの痛みになる前にどうにかできたのに、と無理なことを今日も考えています。 車のバックモニターみたいなものを、誰か開発してくれたらいいのに。サイドモニター眼鏡でもいいな。 意識付けだけだから、姿勢が整ったらもう要らなくなってしまうので、簡易なものでいいのに。 

 

 

<Mar. 14. 2019    痛みのいろいろ>

 

 痛みの感覚は人それぞれですが、反射的に「痛い!」と言ってしまったりすることがあります。 私だけでしょうか。 「痛み」が想定されるアクションを目の当たりにしたとき、そのアクションの直接の受け手でなくても脳が「あれは受けたら痛いよね」と判断たものが口をついて出してしまう、みたいな感じです。 これとはまた違いますが、初めて経験する動きののち、体感したことのない感覚に身体が見舞われたとき感じる「痛み」の反応も人それぞれです。 それが怪我の痛みなのか、筋肉痛なのか。 私自身、ヨガを始めたばかりの時 筋肉痛三 昧でしたが、経験したことのない部位の痛みが筋肉痛なのか、単に痛めたのか、区別がつかないことが少しありました。 まさかここが筋肉痛だなんて、 という具合です。

普段の生活で使っている筋肉は限定的で、動作の範囲もまた限られています。 その可動域を越えて動かして健やかさを取り戻すヨガでは、この感覚はよくあるものと感じていますが、みんなどう感じているのだろう。 今度聞いてみようと思います。 もしかすると、「痛み」という言葉は間違っていて、もっと適当な言葉があるのかも。(※筋肉痛ではない言葉で)一部では、それを「気付き」とも言うそうですが、もっと適切な言葉があるような、ないような。

 

 

<Mar. 15.  2019 無限ループ>

 

 これはもうわかっているけど、ヨガの学びは一生続くよどこまでも。

 レッスン後の、ラグビーボールのように予測不能な生徒さんの反応も含め、自主練の後にも常に学びがあります。 あり過ぎて、たまに自己嫌悪に陥りそうにもなりますが、そこから救い上げてくれるのもまたヨガなので不思議サイクルです。 ただ、出会えて本当によかった、という結論に辿り着く毎日は間違いなく今後も続くよどこまでも。

 

 

<Mar. 18.  2019 思い込み>

 

 チョコレートが大好きです。食べ過ぎるほどに。

 食べ過ぎるのでいけません。そこで、この想い、もしかして単なる思い込みかもしれない と思い、こんな自分からの脱却を図るべく、物は試しです。 一日最低一度は「チョコレートは嫌いです」と口にしてみよう。 毎日目にする手帳にも、「チョコレートは嫌いです」の付箋を貼りました。 少し前の覚書「ここまではここまでじゃない」で、人は自分の思い込みで限界を決めがちだと書いた時、これかと思い、私自身にも少し取り入れてみようと思います。 ええっ こんな内容で?! とも思いましたが、何も大きなもので試さなければいけないこともなく、ここは身近なもので。 

「好き」が単なる思い込み、と気付くのか、それとも

「嫌いです」が新しい思い込みとして刷り込まれるだけなのかわかりませんが、いずれにしても食べ過ぎ防止となれば結果オーライです。全く効果が得られず変化なし、ということも勿論あるかも。 始めたばかりで否定的な思考はいけません。忘れよう。 また結果はご報告します。